■アヤカシ回顧録■

■第2回■
作:じんべい、籐太 / イラスト:浮月たく


―1―

 和泉ちゃんが死んだあの日から、もう半月が過ぎた。

 満開だった桜の季節も過ぎ、気がつくと新緑の季節。


 今日も悠ちゃんは、部屋に閉じこもったままだ──。


「悠ちゃん、朝だよ! 学校行こ」


 私は元気よくドアを開け、悠ちゃんの部屋に飛び込んだ。

 すぐに期待を込めた視線をベッドに向ける。


 だけど、今日も悠ちゃんの様子に変わりはない。

 朝だというのにカーテンを締め切り、無気力にベッドに横たわっている。


「悠ちゃん……」


 これがあの、いつも元気いっぱいで、自信満々だった悠ちゃんだと考えると、つらい。

 和泉ちゃんが死んだという現実を叩きつけられているみたいだ。


 だけど私まで弱音を吐いちゃダメだ。

 今まで私は、悠ちゃんや和泉ちゃんに、いっぱい助けられてきたから。

 今度は私が悠ちゃんを元気付けてあげる番なんだ。


 決心してベッドに近付き、肩を揺すりながら声をかける。


「朝だよ悠ちゃん。起きなきゃダメだよ」

「……」


 ベッドから背を向けたまま沈黙が返ってきた。

 今日も起きてるのに、反応してくれない。

 無表情のまま、じっと部屋の壁を見つめている。


 この顔をしている時の悠ちゃんは嫌いだ。

 この世界がどうなろうと、自分がどうなろうと知ったことじゃない。

 そう言っているみたいだから。


「こんなの、よくないよ……」


 思わず責めるようなことを呟いてしまう。

 だけどこんな悠ちゃんを見ているのは嫌だった。

 こんな悠ちゃん、私は……和泉ちゃんだって見たくなかったはずだ。


 そう考えると、今まで口にするのを躊躇っていた言葉が、自然と漏れてしまった。


「和泉ちゃんが今の悠ちゃん見たら、悲しむよ?」

「……ッ!」


 ピクリと悠ちゃんの体が震えたのがわかった。

 瞳に戸惑いや悲しみ、怒り……様々な感情が入り混じる。


 だけど、それだけだった。

 私を拒絶するように布団を頭までかぶり、感情を閉ざした。


 ダメだ、また失敗した。

 今日もまた、悠ちゃんの力になれなかった……



―2―

「はあ……」


 朝の教室。

 どうしても目に付く二つの空席に、思わずため息を漏らしてしまう。


 ひとつは悠ちゃんの席。

 そしてもうひとつは、花が飾られた――和泉ちゃんの席。


 義務的に置かれた冷たい花瓶を見るたび、和泉ちゃんはもういないんだと思い知らされる。

 半月前まで日常だった、三人で楽しく過ごした日々はもう帰って来ない。


 和泉ちゃんは、もう死んじゃったんだ……


 そんなことを考えていると、不意に涙が溢れてきた。

 私は慌てて涙をぬぐう。


 嫌になる、弱い自分。

 いつまで泣いてるつもりなんだ。こんなことだから悠ちゃんを助けられない。

 そんなことを考えていると、クラスメイトの話し声が耳に入った。


「ねえ、久坂くんって今日も休みなの?」

「やっぱ、牧原さん殺したのがあいつだって噂、ほんとなのかな?」


 また、だ。


 私は大げさに椅子の音を立てて振り向き、話を続ける二人を睨んだ。

 二人は私の顔を見ると、苦笑いを浮かべながら、そそくさと教室を出て行く。


『久坂悠が、牧原和泉を殺した』


 この心無い噂話は学校中だけでなく、うちの近所にも広がっている。


 わからない。

 和泉ちゃんの死んだ場所に悠ちゃんがいたというだけで、どうしてそんな噂をするんだろう。


 好きだった女の子が死んで、一番つらい思いをしているのは悠ちゃんなのに。

 そのせいで悠ちゃんは、部屋から出ることさえできなくなっているというのに……



― 3―

「悠ちゃん、学校行こう!」

 翌日も、その翌日も、また次の日も……

 私は出来る限り毎日悠ちゃんの家に行き、学校へ誘った。

 気が付くと一ヶ月が過ぎていた。


 だけど悠ちゃんは相変わらず布団にくるまったまま。

 私に背を向け、現実を受け入れる事を拒み続けた。


「悠ちゃん、今日も学校行かないの?」


 この日も、なんの変化のない一日。

 そう落胆しながら、部屋を出て行こうとした時だった。


「……陽愛」


 丁度、事件から一ヵ月経った日の朝だった。

 あの日以来、初めて悠ちゃんが私に声をかけてくれた。


「なあに、悠ちゃん!」


 突然舞い込んだ喜びに、私は笑顔で次の言葉を待った。

 期待がふくらみ、自然と笑いが零れる。やっと私を受け入れてくれるんだ。

 そんな都合のいいことばかり考えていた。


 だけど、現実は違った。


「お前、うるさい。もう来るな」

「──え?」


 拒絶、された……?


 全身が凍りつく。

 悠ちゃんに何か言い返したかったが、何も思い浮かばない。

 息が苦しくなる。

 どうして? 私じゃ、役に立たないの?

 やっぱり、和泉ちゃんがいなくちゃ……


 動悸が激しい。全身が硬くなる。

 ダメだ。私は笑顔でいなきゃいけないのに、出来ない。


 私はまた来るとだけ告げると、小刻みに震える体を動かし、学校へ向かった。



― 4―

 その日はやっぱり最悪だった。


 教室に入ると、落書きされた教科書が机の上に置かれていた。

 『人殺し、ブス、死ね──』酷いことが書いてある。

 ここのところ毎日だ。私が悠ちゃんの幼なじみだからイジメられている。

 つまらない理由。バカみたいだ。

 私は黙ってそれを机に入れた。


「うわっ、無視されたぁ。やっぱ人殺しの友達は違うねー」


 誰かが呟いた言葉に、くすくすと教室中から笑い声がおこった。

 頭が痛い……ずきずきと、頭の中を絞られるような頭痛がする。


 やめて……みんな静かにして!


 いつもならこのぐらい耐えられるのに、今日の私には耐えられない。

 誰かに助けて欲しくて、助けを求めようにも、こんなときいつも助けてくれた和泉ちゃんはもういない。

 こんなときいつも助けてくれる悠ちゃんは、私を守ってくれない。


 こんな場所で、泣きたくなった。

 だけど泣いたら負けだと思った。


 今泣いたら、私は弱いままで悠ちゃんを救えないと思った。

 悠ちゃんまで失ってしまう。


 和泉ちゃんなら、まだ頑張るはずだから、泣いちゃダメだ。


「私の教科書に落書きしたの、誰」


 震える声で、だけど皆に聞こえるように強く言った。

 さっきまで雑踏に包まれていた教室が一瞬にして静まる。


 長い沈黙。

 静寂が怖かった。


「わたし……だけど?」


 声がした方に視線を向けると、同じ部活の笠原さんだった。

 予想外の相手に、私は声を失う。


 笠原さんは私や和泉ちゃんの友達だった。

 部活帰りに一緒に寄り道したこともあった。

 彼女がこんな酷いことをするとは、信じられなかった。


 だがそれ以上に、彼女が続けた話はもっと信じられなかった。


「陽愛ってさ、ずっと久坂くんのこと庇ってるけど、それってあんたが犯人だからでしょ。警察の人がうちに来て、久坂くんとの関係
 聞いて帰ったんだから」


「ええーっ!!」


 笹原さんの言葉に教室中が騒然となる。

 私は目の前が真っ暗になり、一気に血の気が引くのを感じた。

 警察の人が私と悠ちゃんの? なんでそんなこと聞くの?


「陽愛、久坂くんのこと好きだったもんね。だから和泉ちゃんが邪魔だったんでしょ。女子ならみんな知ってるのよ。
 久坂くんは和泉ちゃんのこと──」


「やめてよッ!」


 嘲笑、ひやかし、罵倒──。


 私を取り囲む声に、気付いたら叫んでいた。

 だけど声は大きくなっていく。

 気がつくと私は逃げるように教室から飛び出していた。



― 5―

 嫌だ、嫌だ、嫌だ!


 通学路を全力で走った。

 激しく呼吸が乱れ、頭の中が白くなる。


 私が和泉ちゃんを殺した? そんなわけない。

 和泉ちゃんが死んで喜んでる? そんなわけない。


 だって悠ちゃんは和泉ちゃんのことが好きだから。

 私は和泉ちゃんの代わりになんてなれないから。


 だから私は……私は──ッ。



― 6―

 呼吸を整えながら正面を見上げる。

 気がつくと、悠ちゃんの家の前に着ていた。


 おじさんから貰った合鍵で玄関を開け、悠ちゃんの部屋へ入った。


「悠ちゃん……」


 悠ちゃんは、相変わらずベッドの上で背中を向けたまま寝ていた。

 それでも私は構わず話し掛けた。

 口を開けば何を言い出すかわからない。

 だけど、私は喋らずにはいられなかった。


 感情がもう、止められなかった。


「悠ちゃん……私が、和泉ちゃんを殺したの?」

「──え?」


 悠ちゃんが驚いて振り返る。

 久しぶりに見た、悠ちゃんのこんな表情。


 やっぱりダメだ、私は……こんな時にそんなこと考えるなんて。

 だから、まだ変なことを言ってしまう。


「私が和泉ちゃん殺したって、みんなが言うの。私が……和泉ちゃんを殺したの?」

「陽愛、お前──」


 頭の中が真っ白になって、目で見えてるのに悠ちゃんの顔がわからない。

 今の悠ちゃんはどんな表情をしてるんだろう。


 怒ってるかもしれない。呆れてるかもしれない。理解できないかもしれない。


 自分でも何でこんな事を聞いてるのかわからない。

 ……ううん、本当はわかってる。


 私は和泉ちゃんが死んで、少しホッとしたんだ。

 それをみんなに言われたから怖くなって逃げ出した。

 そのくせ悠ちゃんに許して欲しかったから、こんなこと聞いてるんだ。


 私は、最低だ。


「陽愛!」


 私は乱暴にドアを開け、逃げ出した。

 卑怯者の私はもうここにはいられない。


 私は悠ちゃんの傍にいちゃいけない人間なんだ。



― 7―

 石段をくだり、着いた先は桜。


 和泉ちゃんの死んだ場所。

 千年桜は今年もまた、春が過ぎたというのに狂い咲きしている。


 桜の根元には、綺麗な花束。

 そこに和泉ちゃんが大好きだった、小さなビスケットのお菓子を添えた。


「ごめんね和泉ちゃん……ごめんね……」


 許してくれる相手はもういない。

 それでも私は謝った。

 私が謝れば和泉ちゃんはいつも許してくれる。


 甘えたかった。

 私は、和泉ちゃんに助けて欲しかった。


「う、うぅ……和泉ちゃん……和泉ちゃん!」


 堰を切ったように、涙が溢れる。

 そうだ、やっぱり私じゃダメなんだ。

 自分の無力さを思い知った。

 心のたがが外れ、私は桜の木に向かって叫んだ。


「私じゃダメ……ダメなんだよぉっ! 私じゃ悠ちゃんを助けてあげられない! 帰ってきてよ、和泉ちゃんッ!!」


 情けないくらい涙が零れた。

 結局私の力じゃ、何一つできない。

 大好きな人を助けることさえできない。

 和泉ちゃんがいなければ、私は──。



― 8―

 桜の木から、少し離れた場所にある石塔。

 そこに少年が、爪が食い込むほど拳を握りながら立っていた。

 少年は己の弱さで大切な人を、また一人失うところだった。

 怒り。情けない自分に対する怒りを、思い切り石塔にぶつける。



― 9―

 ドンッ!


「きゃっ!?」


 突然の大きな音に驚く。

 私は慌てて涙をぬぐい、音の方へ振り向いた。


 恥ずかしい、誰かに見られたのかな?



― 10―

「あれ、ここ血がついてる……どうしたんだろう?」

 音がした場所には、大人一人分位の大きさの石塔が立っていた。

 その石塔の胴体の部分に拳大の血がついている。


 少し怖い。今日はもう帰ろう。

 そう思って立ち上がったところで、石段にビスケットの箱が落ちているのに気付いた。


 あれは……和泉ちゃんのビスケットだ。


「私、落としちゃったのかな?」


 落ちていたビスケットを拾う。

 ふと、昔のことを思い出した。


 子供の頃、悠ちゃんと和泉ちゃんと、三人で街に探検に出かけた時のこと。

 悠ちゃんがビスケットを落として泣きそうになった事がある。


 私達は可哀相だからと、持っていたお菓子を悠ちゃんに分けてあげたんだけど、

 悠ちゃんは照れくさかったのか、いらないと断った。


 だけど私が、悠ちゃんが食べないなら私も食べないって言うと、しょうがないなって言いながら、嬉しそうにお菓子を食べたんだ。


「ふふふ」


 思い出すと、おかしくて笑ってしまう。

 そういえばあの時の和泉ちゃんの言葉……


『悠ちゃんは、私達が守ってあげないとだめだね』


 ……ああ、そうか。


 これは私を励ましてくれるために、和泉ちゃんが落としたんだ。

 悠ちゃんを助けてあげられるのは、もう私だけだから。


 私は深呼吸すると決意した。


 明日も悠ちゃんを誘おう。

 明後日も、次の日も、悠ちゃんが元気になるまで……



― 11―

 翌日。


 決心したはいいが、私は玄関の前で躊躇っていた。

 どうしよう? 昨日変なこと言ったから気まずいかな?


 私がドアの前でうろうろしていると、信じられないことが起こった。


「お前……なにやってんだ?」

「ゆ、悠ちゃん!?」


 制服をきた悠ちゃんが、ドアを開けて目の前に現れた。


 どうして?

 悠ちゃんは驚く私のおでこを指で弾くと、得意の呆れ顔で言った。


「おい、学校遅れるぞ。ぼけっとしてんなよ」


「あ……う、うん!」


 悠ちゃんだ、いつもの悠ちゃん。元に戻った。

 私は嬉しくて思わず悠ちゃんに抱きついた。


「わっ! バカ、痛いっ!」

「あ、ごめん。手、怪我してるの?」


 体の当たった手の甲を見ると、包帯が巻かれていた。


「こ、こいつは転んだんだよ。それよりほら、行くぞ」

「あーっ、ま、待ってよぉ」


 突然駆け出した悠ちゃんに遅れないよう、後を追いかける。

 嬉しい。学校に行くのが楽しいなんて、久しぶりだ。


 きっと昨日、和泉ちゃんにお願いしたから、助けてくれたんだ。

 和泉ちゃん、ありがとう。私これからも頑張るから。


 悠ちゃんのこと守るから、ずっと見守っていてね。


 ありがとう、大好きな和泉ちゃん……

― 了―


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